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【肺がん脳転移・手術後】いるはずのない人の存在を感じる[妄想を信じる]

前回のブログでは、肺がんの脳転移によって入院した父が、霊体験について話し出したことについて書いてきました。

ただし、どうにも信じることができない話ばかりで、なによりも父が実際にその霊達を見たわけではなかったのです。

※詳しく以下のブログ

【肺がん脳転移・手術後】霊体験をする[脳腫瘍がもたらす幻覚か]
肺がんの脳転移による悪性脳腫瘍を抱えた父は、無事に手術やガンマナイフ治療を終えました。脳腫瘍によって、手術前から、これまでとは明らかに違う父の行動に驚かせられ、ショックを受けてきました。しかし、手術後になると、手術前とはこれまた...

以上の前回のブログでは、父の霊体験は脳腫瘍による幻聴等が作り出した父の想像だという結論に至りましたが、今回のブログは、引き続き父のおかしな発言に関連するものです。

前回のように霊が出てくる話ではありませんが、今度はいるはずもない人の存在について話しだしたのです。

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同じ病室に親戚がいる

父は、小脳と前頭葉に脳腫瘍を抱えており、手術の間はずっとICUのベッドで入院していました。

しかし、無事になんとか手術を乗り越えると、一般の病室に移されることになりました。

いるはずのない人のことを言い出したのはこの頃からです。

ある時、父のお見舞いに行くと、「病室を出たところにたこ焼き屋かあるから買ってきてくれ」と言うのです。

なぜかと聞くと、「向かいのベッドに親戚のおじさんも入院しているから、渡したい」とのことでした。

もちろん、そんなはずはありません。

もしいたとすれば、お見舞いで時々にしか病室にしかいない私でも流石に気づきます。

そしてなにより、病室の近くにたこ焼き屋もありません。

幽霊の話と同じく、本当に不思議なことを言うなあと思っていたのですが、やはりこれも父が想像でした。

前回のブログでも触れましたが、脳腫瘍の手術を終えたばかりの父は、歩くことはおろか、ベッドから自力で降りることもできず、ずっと寝たきりでした。

そのため、周りから得られる音だけで色々なことを想像しては、それを現実だと信じていました。

想像が生まれる背景には必ずきっかけがある

今回、親戚のおじさんが向かいのベッドにいると信じこんでしまった背景には、調べていくとちゃんとした理由がありました。

それは、看護師の声です。甲高い看護師の声が、親戚のおじさんの奥さんの声に似ていたのです。

その看護師がいつも病室にやってくるために、親戚のおじさんも、父と同じ病室に入院しているに違いないと信じてしまったのです。

一般の人であれば、たとえベッドに寝たきりで、聞こえてくる声が親戚にものすごく似ていたとしても、まさか親戚が偶然同じ病室にいるはずがないということに疑いを持つはずです。

しかし、脳腫瘍を抱えた父は、そのような論理的に考える思考力が失われてしまっていました。

おそらく、前頭葉にできた腫瘍が影響していたのでしょう。

そのため、声というわずかな情報をもとに、そこからさまざまな想像を作り上げ、さらにそれらを完全に信じ込んでしまっていたのです。

しっかりと考えていることはある

ただ、全ての思考がめちゃくちゃになってしまったわけではありません。基本的には、しっかりとた考えも持っていました。

たとえば、礼儀に対する思考は残っていました。たこ焼きを買って渡そうと考えていたも、同じ病室にいるのに挨拶をしないは無礼だと考えていたからです。

たこ焼きという、匂いの強いものを病室で渡そうとするところについては、気が回らなかったのかもしれませんが。

ちなみに、たこ焼き屋がなぜ病院の近くにあると信じてしまったのかは不明です。

入院中に、そう信じ込ませてしまう何かの要因はあったのでしょう。

父の発現をスルーしかない

困ったのは、父が自分で作り上げた想像を信じこんでしまっているにも関わらず、私たち家族はそれに全く対応できないということです。

霊体験であれば、信じてあげるフリをすることができます。

しかし、同じ病室にいる親戚にたこ焼きを渡すフリというのは中々難しいものがあります。

そのため、父の要望をスルーせざるを得ないのです。

結果として、父は自分が無視されていると思ってしまい、ついには「誰も俺の言うことを聞かない」と怒ってしまうこともありました。

ちなみに、親戚がいるはずなんてないと、鼻っから否定することもできますが、これは怒らせるだけなのであまり意味がありません。

完全に信じ込んでいるし、逆に私達がおかしなったと思われているので、説得のしようがないのです。

仮に、寝たきりの父を、無理矢理担いで、向かいのベッドには別人がいることを目視させたとしても、絶対に親戚はいると言い続けたでしょう。

空想は他にもある

親戚が同じ病室にいるということ以外にも、いるはずもない人のこと話すことはありました。

たとえば、隣の患者にお見舞いに来た人が犬を連れてきて、その犬が吠え続けてうるさかった、赤ちゃんを連れきた人がいて、その赤ちゃんが泣きわめいていたと言うことなどがありました。

病院に犬を持ち込む人がいるといのは考えにくいですし、赤ちゃんも基本的には病院には入れません。

感染症の危険がありますしね。

これらは、多分父の想像でしょう。

しかし、霊体験の話をしてくれた時の反省から、仮におかしな話だと思っても、真っ向から否定することはせず、ちゃんと話を聞いて信じてあげることにしました。

父の話すことは想像でしかないと証明しようとしても意味がありませんし、むしろイライラさせてしまうので、入院している父の容態にも影響しかねません。

たこ焼きを買って渡すという要望までは叶えてあげることはできませんが、可能な限り話を聞いて信じてあげることが大切だと痛感させられました。

おわりに

霊体験の話から、いるはずのない親戚の話まで、手術を終えた後の父は、論理的に考える思考が著しく低下してしまい、想像を真実だと信じるようになってしました。

もともと、かなり論理的に物事を考える人だったので、それが失われた父を見るのは、正直に言って、かなりショックでした。

しかし、こういった症状は、術後に顕著であっただけで、時間の経過とともにかなり解消されていきました。

理由としては、手術によって発生していた脳の浮腫が落ち着いたなど、いろいろなことが考えられます。

しかし、私が見ていて思った最も大きな理由は、リハビリをして歩けるようになったことだと思います。

ベッドに寝たきりだと、どうしても聞こえてくる音だけが頼りとなりますが、ヨロヨロとでも歩くことができれば、気になることは目で確認しに行くことができます。

これが大きく違うのでないかと思うのです。

また、体を動かすことそのものが、脳にたくさんの刺激を与えて、頭を活性化させているのかもしれません。

ただし、幽霊や親戚のおじさんのことなど、術後すぐに発した虚言は、今でもリセットされることはなく、真実だと思い込んでいます。

これは、仕方ありませんね。

いずれにせよ、私の父のように、もし誰かが脳の手術の後におかしなことを言うようになったとしても、時間が経てばきっと症状は落ち着いていくはずです。

気長に見守ってあげてください。