前回のブログでは、仮退院を乗り越え、退院が正式決定したことを書いてきました。
8月13日に仮退院して、8月17日に退院することが決定したのです。
6月23日に脳転移が発覚し、6月26日に入院。
命の危険にもさらされながら手術等を乗り越え、仮退院をなんとか乗り切りました。
医師からも退院の許可を得た父は、ついに帰宅することが可能となったのです。
肺がんの脳転移が発覚してから約1カ月半、ようやく帰ってきたのです。
もう、帰ってくることはないだろうという思いで、入院するときは見送りました。
しかし、お見舞いに行かずとも父に会える日が再びやってきたのです。
帰れるうちに帰るという意味の退院
前回のブログでも書きましたが、父の退院は健康になって実現したものではありません。
もちろん、できる限りの手術や治療は行いました。それでも、父の余命は半年だったのです。
そのため、家に帰る元気があるうちに、家で過ごす時間を持った方がいいという判断のもとでも退院だったのです。
はっきり言って、手放しで喜べる状態ではなかったのです。
父が半年で死ぬなんて信じていなかった
担当医からは、上記に示したような辛い宣告を受けましたが、私は全くそんなことは思っていませんでした。
医師の経験からの言葉で信ぴょう性も極めて高いのですが、仮退院で見た元気な父がそんな短期間で亡くなるなんてどうにも信じられなかったのです。
実際、父は今現在も、元気ハツラツとまでは言えませんが生きています。
当時の直感は、決して間違っていなかったのだと思います。
なにより、死なせてたまるかと言う思いも強くありました。
NK細胞が活発化されるような刺激のある生活をして、がんに効くと言われている春ウコンなどを飲ませていけば、がんの再発は絶対に防げるはずだと信じていました。
あのまま病院にいたら…
今でも時々思うことがあります。
もし、医師が退院を認めてくれなかったら、医師の余命通り半年で亡くなっていたかもしれないということです。
結局、父は半年以上生きているので、たとえ帰れる元気があるうちに帰った方が委員といいという理由であったとしても、退院を積極的に支持してくれた医師の対応には非常に感謝しています。
病院にいるときと、家に帰ってきて悠々自適に過ごしている父の姿は、明らかに違っていたからです。
入院中の父の暮らし(無言で向かい合わせ)
父のお見舞いに行った時のことですが、父の病院室を訪ねると、父は談話室のようなところに座っていました。
机がいくつもある広い談話室なのですが、父は同室の人と向かい合わせで座っていました。
この談話室には、父とその同室の人しかいません。
それにも関わらず、向かい合わせで、何かを喋る訳でもなく、黙ってずっと座っていたのです。
なぜ、こんなことをしているのかというと理由は単純で、看護師から運んでもらったからです。
ずっとベッドで寝ているのはよくないだろうと、時々、こうやって病室から出してもらっていたのです。
この時の父は、勝手に出歩くことは禁止されていたので、仕方がないことだったのです。
いろいろと配慮してくれていた病院側の対応には本当に感謝しています。
しかし、やはり病院内では限界があります。談話室で2人きりで向かい合っているなんて、明らかにおかしな光景です。
父を見つけたときは、思わず笑ってしまったほどです。
家に帰ってきてからの生活
一方、家に帰ってくると、家族と毎日会うことができます。
常にだれかと話すことができますし、たとえ家にいるだけであっても、病院にいるよりかはいろいろな刺激があります。
好きなものを食べ、好きなテレビ番組を見て、好きなYouTube動画をみることができるのです。
制限が大きく取り払われ、行動を自己決定することは、病院の規則的な流れに身を任せるだけの生活とは大きく異なる部分だと思います。
デイサービスにも通い始めました。
筋力が著しく衰えてしまったので、リハビリに特化したデイサービスに通うことになりました。
リハビリそのものも効果があったと思いますが、色々な人と出会えたこともよい刺激なったと思います。
最初は、デイサービスに行くことに対して乗り気ではなかったものの、慣れてくると生活リズムの一環のような形で通ってくれるようになりました。
こういったことは、なかなか病院内ではできる経験ではありません。なんにせよ、家族とのかかわりは重要だと思います。
おわりに
父のように脳腫瘍を抱えた家族がいると、家で介護するのは大変な場合があります。
むしろ、病院にいてくれたほうが安心感を得られます。何かあってもすぐに対応してくれるからです。
お見舞いに行くのは大変なのですが、それも介護の負担と比べれば全く問題ない範疇である場合もあると思います。
しかし、負担が過度でなければ、できれば家に帰らせてあげた方が、患者本人にとっても、見守る家族側にとってもプラス面がみられる場合もあると思います。
ここは、介護の負担との兼ね合いがあるので、本当に難しいところではあるのですが。
いずれにしても、父の場合については、余命半年で暫定的な退院として帰宅させてもらえたものではあったものの、それが結果として寿命の延長に大きく影響を与えたのだと思います。