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【脳腫瘍・手術】入院そして手術に向けての検査

父に、肺がんの脳転移があるとの診察を受けたのが平成29年6月23日。そして、6月26日に入院することがきまりました。よほど深刻な症状だったのか、病院側の対応はかなりスピーディに感じました。ここまでは、前回のブログの通りですね。

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入院日までの父との時間

6月23日に脳外科で脳腫瘍があるとの診察を受け、6月26日が入院日となったので、父が家で過ごせる時間はたったの3日しかありませんでした。そのため、なるべく父との時間を持つように努めました。

脳外科の診察では、父の命はあと数ヶ月と言われていました。そのため、再び父がこの家に帰ってくることはもちろん、近い未来にはこの世にいることさえも難しいであろうと考えていたためです。

また、無事に手術を終えて退院してきたとしても、脳の手術を受けています。これまでのように、普通に会話したりするのは、到底かなわないだろうという気持ちもありました。なので、たくさん話をするように努めました。私の今後のことについて話したりもしましたが、私が小さい頃の思い出といった、過去の話なども聞いたりしました。あとは、父自身の昔話ですね。

とにかく、父が話せなくなってしまう前に、できる限りのことを聞いておきたいと思ったのです。

元気になるために入院や手術をするのに、非常に寂しい気分で当日を迎えていたのを覚えています。

たくさんの検査

入院先の病院は非常に遠く、とても自転車で行ける距離にありませんでした。そのため、到着時には、一息ついて休みたくなります。

しかし、到着してからもいきなりいろいろとやることがあって大変でした。油断対敵ですね。てっきり、入院日は病室に入ってそれで終わりと思っていたのですが、そうではなかったのです。

父の容体が緊急を要するものだったからなのかもしれません。ここにきて、改めて、父の脳腫瘍の状態は、非常に深刻なのだと痛感させられました。

手術は、7月5日に決まっていたのですが、入院日である6月26日から、たくさんの検査を受けるための同意書を書かされました。各検査の同意書はもちろん、輸血、麻酔なと、たくさんの説明をうけました。

脳の外科手術を受けるというだけで、ここまで検査が必要になるのかと驚いたものです。

なお、入院当日である6月26日には、心電図とHIVの検査がすぐに行われました。

6月27日には心臓超音波検査を受けました。安全に手術を受けるために必要な検査だそうです。具体的な検査内容はよくわかりません。また、同日にはMR検査も行なっています。

6月28日にはCT検査です。私がつけていた記録には、細かい内容を書いていないので、おそらく普通にCTを撮影したのだと思います。

脳血管撮影検査

6月29日には、脳血管撮影という検査を行いました。CTやMRでは得られない血管の情報を得るための検査です。

この検査、足の付け根と肘の内側の2ヶ所にカテーテルを挿入し、そこから脳に向かって造影剤を流し込んで撮影を行うのです。説明を聞いた時は、開頭手術並みの恐ろしさを感じました。だって、脳内に造影剤を流し込むって、ちょっと怖くないですか?あと、大腿部から頸動脈付近まで持っていくんですよ。

ただ、30分〜60分で終わる検査であり、実際の検査もたんたんと進んで終わったようです。説明内容だけで考えると驚くような検査でしたが、終わってみるとあっという間の出来事です。検査を受けたのは父なので、私が言うのもなんですが。

そもそも、なんで脳の血管を調べるためだけにこんなにややこしい検査をしなければならないのかと思いました。

血管って、脳の手術でそんなに必要なものなのか?この時はこんな疑問を抱えていたのです。こんな血管のことよりも、これから行われる手術の方が本 不安で仕方なかったのです。

しかし、血管を調べることの重要性は、手術後に痛いほど痛感させられることになります。脳腫瘍の種類や大きさも重要ですが、血管の構築状態などの情報も、本当に見逃すことができません。このことは、後々書いていくことになるので、ここでは割愛します。

おわりに

このときの父の入院は、とても悲しい気分になりました。これまでにも、胆嚢の摘出や、肺癌による右肺上葉の摘出で、入院したことはあります。しかし、これまでの入院とは、なにかが違ったのです。

実際、入院初日から検査が実施されたことなどから、父の容体は、一刻の猶予も許さない状況であることが病院側の対応から伝わってきました。もしかすると、一般には普通の速度なのかもしれませんが、肺がんの摘出手術の時は、もっとのんびりしていたのです。

いずれにせよ、脳の手術を受けるというのは、家族側も非常に複雑な気持ちになります。脳という複雑な機能を司る部位ゆえに、手術で命を落とす可能性は低くはありません。また、たとえ手術が成功しても、どのような後遺症が残ることになるかということも重大な関心事です。

さらに父の場合、あと数ヶ月の命と言われていました。手術の成否にかかわらず、もう、今回の入院で父が自宅のベッドで眠れる日はこないだろうという気持ちで病院に送っています。

こんな感じで、このときの入院は非常に悲しい気分になるものでした。