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【肺がん切除完了】残った症状と緩和された症状

なんとか肺がんの切除手術を終えた父ですが、それからは、従来とほとんど変わらない生活を送れるようになりました。

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さまざまな症状が治まった


「咳・痰」、「全身のむくみ」、「ばち指」の症状が無くなったのは本当に驚きました。

咳と痰(血痰)は手術をしてからすぐに治まりました。咳は聞くだけでも辛かったので、本当に嬉しかったですね。むくみとばち指については、いきなり治まったというわけではなく、ゆっくりと消えていきました。とくに、バチ指については、骨そのものの形が変形しているような様子だったので、そもそも治まるものなのかと思っていたのですが、これも治まりました。

むくみは、治まったことで以前と同じように歩けるようになりました。関節の痛みもすっかりと消えました。このむくみだけは、肺がんと関係があるのかさえもわからず、腎臓などの病気を患っているのではないかと心配していたので、治まって本当に良かったです。他の臓器に転移がみられない肺がんでも、これだけの症状がでるのです。

息苦しさが残る


切除した肺は右肺の上部のみなので、それが日常生活に与える影響はほとんどなかったと思います。

それでもやはり、術後しばらくは息苦しさに悩まされていました。これは、肺がんを患っていた時にもみられたのですが、息苦しくて眠れないときがありました。横になっていると苦しいようで、我慢できなくなると体を起こして呼吸を整えていました。体を起したほうが、空気をたくさん吸えるそうです。しかし、身体を起こしてしまうので、当然眠れなくなってしまいます。

息苦しくて横になることができない症状は、風邪をひくと特に顕著に現れました。あまりにも苦しそうなので、酸欠で死んでしまうのではと思った程です。切除した肺が4分の1程度とはいえ、体調を崩すとかなり苦しいようでした。

苦しい時には「酸素」


息苦しい時には、酸素のスプレーを使うとかなり症状が改善されたそうです。富士山に登る人が持っていくあの酸素です。スポーツ用品店や薬局に行けば売っていると思います。

この酸素スプレー、普通に呼吸ができる私が使ってみても、ただの空気を吸っているようで何も感じません。しかし、父にとってはこの酸素が相当効いたそうです。酸素が有効だと知ってからは、常に枕元に置いて寝るようになりました。そして、苦しくなると酸素を吸引し、再び寝るということを繰り返すようになったのです。これまでは、苦しくなると体を起こし、呼吸が整うまで待つ必要があったので、かなり楽になったそうです。ただ、高価ではないですがそれなりの値段がしますし、すぐに中身が無くなってしまうのが難点ですね。

ちなみに、こういった息苦しさについては、時間が経過すると共になくなっていきました。酸素スプレーは、念のため常時枕元に置いてはいるものの、もう使っている気配は全くありません。人間の体は、肺が多少切除されようとも環境に順応していくようですね。

実際、この手術から半年後には引っ越しすることになるのですが、驚くべきパワーを出して荷物を運んでいました。もともと体力には自信がある人ではありましたが、数カ月前に肺がんを患い、ほぼ寝たきりとなっていたとは思えないほどに動けるようになりました。

定期検査


手術を終えてからは、定期的に検査を受けることになりました。PET検査には年に1回ですが、胸部のCTについては数カ月に1回のペースで受けることになりました。

これまで、健康診断にさえ行きたがらなかった父でしたので、こうやって定期的に検査を指示されることは、家族としてはとてもありがたいです。毎回、検査結果を聞くときは、癌が再発していないかとビクビクしてしまいますけどね。

このあと、脳転移と甲状腺がんが発覚しますが、現在まで肺がんの再発や他臓器への転移はありません。甲状腺がんの原発巣は不明ですが、脳転移は肺がんを切除する前に飛んでしまったものだそうです。

後の病理検査でも、脳に転移したのは肺に発生したがんと同じ細胞だということがわかっています。脳転移が出てしまったのは本当に不幸な出来事ではありますが、とりあえず原発巣を切除できていることは大きいです。

小さなことが気になる

もちろん、新たな肺がんが発生することも十分に考えられます。そのため、父が咳をしたときなどは、「コホコホ」という小さな咳ではないかなど、神経質なほどに注意するようになりました。父だけではなく、母が咳をしても怖くなるくらいです。

また、ときどき手の指を確認しては「ばち指」が現れてきていないか、足を確認しては「むくみ」が発生していないかなど、父の変化にとりわけ気を使うようになりました。これらの症状だけで肺がんの再発がわかるわけではないのですが、経験してきた以上、やはり気になるポイントではありますね。

このように、小さな変化であっても、家族としては非常に気になるようになってしまったのですが、父は常に楽観的でした。やはり、自分の体調は本人が一番わかっているからなんでしょうか。