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【脳転移が発覚2】改めて痛感した父の異常行動

前日の、脳腫瘍が発覚した診察について書いたブログの続きになります。

簡単に概要を説明すると、肺がんの手術をしてから約1年半が経過した頃、私は、父の行動が変わりはじめていたことを危惧していました。

そこで、肺がんの定期検査の日に、父にあらわれていた症状をまとめた手紙を書き、医師に渡しました。

すると、すぐにMRI検査をすることになり、脳転移を発症していることがわかりました。そして、その翌日、初めて脳外科の診察を受けることになりました。

以上が前回までのあらすじです。

今回は、父の脳外科の診察に同行し、改めて実感した父の症状の深刻さを、当時の私の心境も含めて述べていきたいと思います。

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初めての脳外科診察

これまで、肺がんの定期検査などの通院は、全て父1人で行っていました。

しかし、この日の脳外科の診察には、私も付き添うことになりました。というより、医師から、付き添いを連れてくるように指示されていたのです。すでに怖い宣告をされる前提での付き添いの指示ですね。もう、嫌な予感しかしません。

本当は、母親が同行するのが普通なのかもしれません。しかし、私自身、本当に父に脳腫瘍があるのかを知りたいと思っていましたし、母親に余計な負担をかけたくないという思いもありました。

このときの私は、MRI検査の結果から、すでに父に脳転移が発症している可能性が高いことは分かっています。もちろん、医者からがんの宣告を受けることも覚悟していたつもりでした。

それでも、診察後には、母親に同行してもらった方がよかったかも思うほどに、本当に疲れる1日となりました。クタクタどころの話ではありません。精魂尽き果ててしまったような疲れでした。

なによりも辛かったのは、改めて目の当たりにする父の異常な行動でした。

外に連れ出してみると、いつも接している父でも見え方が変わり、改めて面食らってしまったのです。

トイレから戻ってこない

一緒に診察に付き合った私ですが、辛かったのはなにも診察だけではありません。それは、病院に入ってから、唐突にやってきました。

受付までは、何事もなく無事に済ませることができました。診察券を入れる機械の使い方など、何も知らない私に対し、父がいろいろと教えてくれたほどです。

しかし、診察室前で父と2人で待っている時、父はトイレに行きたいと言い出しました。

とりあえず、1人でトイレに行かせることにしました。2人ともその場から離れてしまえば、その間に診察に呼ばれても誰も対応できないためです。

しかし、いくら待っても父はトイレから帰ってきません。

私としては、いつ診察に呼ばれるか分からないので、「早く帰ってきてくれ〜!」と願うばかりです。診察に付き添う沿ったことがある方は、こういった経験ありませんか?

とにかく、しびれを切らした私は、トイレに見に行くことにしました。

ところが、トイレに父はいないのです。大便器も確認しました。誰かが入っていてしまっている大便器の前では、「父さんいるか?」と確認したりもしました。

しかし、いる気配はありません。この時になって、ようやく父に脳腫瘍があることを思い出しました。家に一緒にいるだけでは絶対に遭遇しない事態の発生に、本当に焦りました。

診察室前に戻っても当然父はいません。しかし、どこかにいることは確かなので、病院内を走り回って探しました。もう、焦りで汗びっしょりです。はっきり言って、泣き出してしまいそうでした。

受付に報告し、病院職員にも探してもらうしかない思いながらも、もう一度、診察室前に戻って確認してみることにしました。すると、なんと、ひょうひょうと父は診察室前に戻ってきたのです。

しかも、なぜか手には雑誌を持っています。売店で購入してきたと言いだしたのです。トイレに行くと言いながら、売店に行ってしまっていたのです。

とにかく、ちゃんと清算したのか不安だったので、売店に走りました。売店の人に確認すると、お金はちゃんと払ったそうです。ただ、ずっと立ち読みをしていたとのことでした。診察を待たなければならないのに、いったい何をしているんだと、私の心の中はもう「???」でいっぱいです。

つまり、①診察待ちであること、②トイレに行きたかったこと、③私を待たせていること、これら全てのことをほっぽりだして、思うままに売店に行っていたのです。

診察室前には自力で戻ってきたので、上記のことを忘れてしまっていたわけではありません。しかし、多動が抑えられず、優先順位も判断できなくなっていました。そのため、なぜ私が息を切らしているのかも理解できていませんでした。

「どうした?」と言いながら、私に何かあったのかと心配してくれたほどです。

いずれにせよ、なんとか父を見つけられたのでホッとしました。それと同時にすごく悲しくなってきました。

改めて目の当たりにした父の変貌ぶりに、「もう父は別人になってしまったんだ」と痛感させられたのです。

受け入れがたい現実を突然突きつけられ、なぜか涙が溢れてきました。

しかし、周りにたくさん人がいるので、涙を堪えるのに必死でした。なにより、あっけらかんとした表情で診察を待っている父にだけは、気付かれたくありませんでした。

なかなか診察に呼ばれない

その後は、油断することなく診察室前で父と待ち続けました。

しかし、なかなか名前が呼ばれません。おそらく、父が売店に行き、そして私が父を探している間に、すでに名前が呼ばれていたのでしょう。

結局、脳外科の診察室前で待っている人がいなくなるまで待つことになりました。つまり、最後に呼ばれたわけです。長い時間でした。実際に待っている時間そのものが長かったと思うのですが、父の様子にショックを受けていたためか、余計に長く感じました。

一方で、辛い結果を聞かされるのはすでに分かっているので、呼んでほしくないという気持ちもありました。

例えが間違っているかもしれませんが、就職活動で本命企業の最終面接に辿り着き、その順番を待合室で待っているような気分です。

「呼ばれると面接が始まってしまう…」

「心の準備ができていないからまだ呼ばないでくれ!」

「でも、面接を受けないと何も始まらない…」

「いや、さっさと呼ばれてしまったほうがいっそこと楽かも」

例えがちょっと違いますかね。そもそも、私のような蚤の心臓を持つ人しかこんな気持ちにならないのかもしれませんね。

とにかく、深刻な症状を告げられることが明らかな診察を待つというのは、非常に苦しいものがあります。そして、それが長い長い。

癌の宣告をするときの診察の順番

※ここからは、あくまでも私の想像に基づく記述ですのでご注意ください

上記の通り、私たちが診察に呼ばれるのは最後となりました。

もちろん、予約のある診察です。具体的な時間は覚えていませんが、10時位の予約だったのに、12時頃にようやく呼ばれました。

当時は、診察室の前にいなかったから、後回しにされたと単純に考えていました。いや、おそらくこれが事実だと思います。

しかし、もしかしたら、がんの宣告をする時などには、医師が意図的に最後にまわしたりするのかも…と勝手な想像も湧いてきたのです。

医者としても、がんを宣告するのは、患者と同様に大変なことだと思います。人の命についての宣告であるといっても過言ではなく、相当に気を使うはずです。私のような軟弱な人間では、到底できる仕事ではありません。

そう行った意味でも、父のような「重い」患者の診察は後回しにしたのではないかと思うのです。

実際、この時の父の診察自体もとても長く、症状や今後のことについてたくさん説明してくれました。そう考えると、長く診察時間を取るために、医師が気を利かして最後の診察に回してくれたのかもしれません。

とりあえず、次回は実際に診察室に呼ばれてからのことを書きたいと思います。

おわりに

今回は、父の始めての脳外科診察について書きました。

しかし、いろいろと書いていると、ついつい話が長くなってしまい、診察室に入る直前のところまでしか書けませんでした。でも、どうしても書きたい内容だったのです。

書きたいことがたくさんあるので、もっとコンパクトにまとめるべきかもしれません。しかし、書き直そうとするとすればするほど、あれもこれもと付け足したくなってしまいます…。文才の無い私の悪いクセです。

とにかく、がんを宣告されるというのは、診察そのものはもちろん辛いですが、診察を待っているときもとても辛いのです。

とくに、私の場合は、脳転移でおかしな行動を起こす父の異常性を改めて目の当たりにしたのが本当に辛く、そんな心境の中で待つ診察が大変苦しいものでした。

肺がんの脳腫瘍でなくとも、病院にはたくさんの人が辛い思いをしながら診察を待っています。そんな思いを書き留めることができればと思い、まとまりのない文ではありますがつらつら書いてみました。

とくに、認知症患者の付き添いをされている方などは、私が体験した「父がトイレから戻ってこない」という話どころではない、より壮絶な苦労を抱えていると思います。

次回は、診察に入ってからのことを書いていきたいと思います。