父に異常な行動がみられ、それが転移性脳腫瘍の発覚の前兆であったことは、これまでのブログで書いてきた通りです。
今でこそ、父に現れた症状が脳腫瘍によるものだと理解できますが、脳腫瘍のことすら頭にない当時は、異常な行動を示す父に何が起こったのかも分からず、本当に不安でした。原因がわからないことほど、不安になってしまうんです。
今回は、そんな無知な状態から、診察に行って医師からの診断を受けるまでに至る、当時の状況や心境について書いていきたいと思います。
ワラにもすがる思いで医師当ての手紙を書く
肺がんの手術から1年半が経過したくらいのことです。
父は、肺がん検診に行くことになりました。肺がんの再発がないかを調べるため、定期的に受けるよう医師から指示されていた検査です。
しかし、当時の父には、すでに脳転移による症状が現れていました。もちろん、私を含めた家族全員、脳転移が発生していることなどは全く頭にありません。「鬱などの精神的疾患を患っているにちがいない」と、完全に思い込んでいました。
そのため、肺がんの再発も心配ではありましたが、同時に、以前とは完全に異なる行動を起こし、日に日に変わっていく父のことが心配で仕方がありませんでした。
そこで私は、父の症状を簡単に記した医師宛の手紙(書面)を書きました。それを父に持たせ、検診時に医師に渡してもらうことにしたのです。
内容は、前回のブログで書いた11個の兆候のようなものを箇条書きにつらつらと書いたものです。併せて、鬱や認知症、またはアルコール依存症になっているのではないかということを訪ねる内容も付記しました。
もちろん、相手は肺がん検診を行う医師なので、鬱や認知症といった症状が専門外であることは承知の上でした。それでも、何らかの意見を聞きたいと思うほど、私たち家族は、当時の父の症状には困っていたのです。
手紙を受けた医師の反応
父から手紙を受けた医師の対応は早かったです。
手紙に書いた内容から、即座に脳転移の可能性を疑ったのでしょう。この日の検査は肺のみ予定でしたが、すぐに、1週間後に脳のMRI検査の予約をしてくれました。手紙が功を奏したわけです。書いてみるものですね。
ただし、この手紙については、最初は書くことにすごく躊躇していました。
私のような医学の知識に乏しい素人が、医者に対して、ネットなどで調べた浅い情報を根拠に質問するのは、失礼にあたるかもしれないと思ったからです。
下手をすると、モンスターペイシェントとも思われかねないですしね。それくらい私は気が小さいんです。
実際、インターネットが普及し、あらゆる情報が簡単に手に入る現代においては、にわかに知識を付けて医者に意見する人が増えていると聞いたことがあります。私はそういう類の人ではないと思ってはいるのですが、医師からすれば、私も結局はその類かもしれないですね。
もちろん、患者自身が自分の病気に対する知識を付けることは重要ですし、医師に直接質問することが悪いとも思いません。まあ、こういったことを言うと話が逸れてしまうのですが、要は、私は面倒臭い患者だと思われたくないんです。
しかし、父の症状には、そんなことを言っていられないほどに異変を感じていましたし、父一が人で自分の症状を医者に説明できるとは、到底思えませんでした。
結果的には、手紙を受け取った担当医は、肺以外の検査の予約をしてくれたので、手紙を書いて本当に良かったと思っています。
もちろん、手紙の内容ついては、謙遜した表現を徹底し、忙しい医師でもすぐに内容が分かるようにな短い内容に仕上げ、失礼が無いように何度も推敲しました。たったの一枚の文書ですが、かなりの時間をかけています。仕事でも、ここまでしたことはないですね。怠惰な私でも、身内の病気となると力が発揮されるです。
なにはともあれ、私が書いた手紙を読み、即座に対応してくれた担当医には感謝してもしきれないほどです。
本来ならば、父1人で行かせるのではなく、私も付き添うべきだったかもしれません。しかし、当時は、今ほど症状が明確ではなく、おかしいと断言できない微妙な変化だったので、同行することそのものが大袈裟過ぎるとさえ感じていました。
また、たとえ私が付き添ったとしても、いざ医師と対峙すると、緊張して言いたいことをうまく伝えられなくなっていた可能性も十分にあります。そう行った意味では、手紙でしっかりと症状を書き込めたのは、本当に良い方法だったのだと思います。
なお、肺については異常が見当たりませんでした。これはこれで、とても嬉しい結果でした。もちろん、肺がんが発生する前に現れた兆候である「咳・痰」「むくみ」「ばち指」なども現れていません。
しかし、予約してもらった1週間後のMRI検査で、一気に絶望へと突き落とされることになるのですが。
MRIで脳に明らかな腫瘍が見つかる
記の通り、肺がんの検診から1週間後、脳のMRI検査で再び病院に行くことになりました。
この日の検査も、父1人で行ってきました。
診察を終え、帰宅した父から診察結果を聞いた時は、本当に驚かされました。
MRI検査の結果、脳に明らかな腫瘍が写っていたというのです。しかも、ゴルフボール大の腫瘍が2つです。
そのため、急遽、翌日に脳外科の診察を受けることになったのです。
私は、父の異変は鬱病か何かの精神疾患だと思っていただけに、脳腫瘍という全く想像もしていなかった結果を聞かされた時は、青天の霹靂ともいうべき衝撃を受けました。
そして、父に対して、「医者は本当に腫瘍があると言ったのか?」、「MRI画像を見せてもらったのか?」、「他の病気の可能性はないのか?」などなど、たくさん質問してしまいました。どうしても、結果を信じたくなかったのだと思います。
「せっかく肺がんが治ったのに、次は脳のがんか…。」
一週間前は、肺がんの再発が見当たらなかったことに喜んでいただけに、そのショックは大きいものでした。
父もショックを受けていた
父は、比較的楽観的な性格で、肺がんになった時でも常にポジティブでした。血痰を吐き、全身がむくんでも、前向きに病気と向き合っていました。絶対に治ると思っていたそうです。
しかし、今回の脳腫瘍については、いつもと違う様子だったそうです。
母に後から聞いた話ですが、
「今回はさすがにダメかもしれない…」
そう母にこぼしていたそうです。父なり自覚症状があったのかもしれません。
おわりに
とにかく、この脳腫瘍の疑いが出たことは、辛くて長い戦いの始まりの日とました。
辛い現実を突きつけられると、まずはそれを受け入れることが大切ですが、それもなかなか難しいものがあります。どうしても信じられず、もしかしたら誤診かもしれないなどと、希望的観測をしてしまうこともあります。
しかし、前に進むためには、現実という壁を乗り越えなければなりません。ウダウダしていても、次々に壁が立ちはだかってくるからです。
実際、私は翌日の脳外科の診察に付き添うことになりますが、それはもう本当に辛いものでした。辛いことは容赦なく次々と起こってくるのです。
「泣きっ面に蜂」とはこういうことなのかと思わされた矢先に、さらに苦難がやってくることなど、がんの闘病においてはいくらでも起こることだと思います。
しかし、それらも経験してきた今の心境で当時を振り返れば、結果的にはなんとか受け入れられるものなんだなと思えます。そうするしかないからです。
次回の投稿では、父の初めての脳外科の診察に付き添った時のこと書いていきたいと思います。