今回は、父の脳転移が宣告された脳外科の診察のことについてです。
脳外科の診察を受診する前から、すでに父の脳には肺がんが転移していることはわかっていました。ただし、その根拠は、あくまでも肺がん検診の一環で指摘された、「脳転移の可能性があると」いうMRIの結果からです。
そのため、今回のブログで書く脳外科の診察を受けるにあたっては、父が癌であることを宣告されることについて、ほぼ覚悟はできていました。
しかし、あくまでもMRI検査の結果は、「脳転移の可能性」が示されただけです。もしかすると、今回の脳外科の診察では、癌ではない別の結果を言ってくれるかもしれないという、すずめの涙程の期待があったのも事実です(冷静に考えると、違う結果であっても結局はショックを受けることになっていたとは思うのですが)。
しかし、診察室に入って、一瞬で、こういった都合のいい予想は見事に打ち砕かれることになりました。
私だけか診察室に呼ばれる
長い待ち時間を耐え、ようやく脳外科の診察室から声がかかりました。
「ついにきた!」
そんな心境です。
ところが、父は引き続き診察室の前で待っておくように言われ、同行した私だけが診察室に呼ばれたのです。
一瞬「なぜ?」と思いました。しかし、0.1秒後には、なぜなのかだいたい予想がつきました。がんの宣告を受けて来ているのだから、当然と言えば当然でしょう。
そして、意を決し診察室に入っていきました。
誰が見ても明らかな腫瘍を確認
医師は、早速MRIの画像を見せてくれました。それはもう、ショッキングな画像でした。
肺がんのレントゲン写真のように、素人目にはよく分からないような影ではありません。誰の目で見ても明らかな腫瘍が、くっきりと写っていたのです。それは、私のような、近眼のド素人が見ても十分でした。
しかも、腫瘍は2つあり、「前頭葉」と「小脳」に発生していたです。
さらに、その大きさは、どちらもゴルフボール大はありました。
覚悟していたとはいえ、有無も言わせない画像を目の当たりにし、かなりショックを受けました。
がんの宣告―脳転移があるということの意味―
画像で腫瘍を見せてくれた後、医師からは「肺がんの脳転移」と告げられました。
この時は、やはりそうなのかという気持ちでした。というか、あのMRI画像を見れば、素人の私でも疑いの余地がありません。それくらい、鮮明に映っていたのです。
医師は続けて、「非常に危険な状態であること」、「すぐに手術を受けなければならないこと」を私に告げました。
また、この時は、具体的な月数は明言しませんでしたが、「数カ月の命」であることを覚悟するようにといわれました。
理由は、手術には失敗する可能性があること。なにより、肺がんが脳に転移した時点で、他の臓器に転移している可能性が極めて高く、生存率はかなり低くなるのだそうです。つまり、ステージ4ですね。
たくさんの患者を診てきた脳外科医が言うのですから、どうしようもありません。予想していた以上に辛い宣告でした。
ただ、私を動揺させないためになのか、医師は淡々と話していました。非常に気を使ってくれていたのだと思います。実際、医師の説明の全てが、私がショックを最小限に抑えられるよう、絶妙な具合に順序良く組み立てられていました。
しかし、私としては、脳転移が発生していることは覚悟していたので受け入れられても、父がそれほど危険な状態であることは予想していなかったことなので、かなり動揺していました。とにかく、平静を保とうとすることに必死でした。何とか持ちこたえられたのは、医師の説明の技量のおかげだったと思います。
そして、医師は「このことを父に伝えるか?」ということを聞いてきました。
一瞬迷いました。しかし、こうなった場合には、正直に伝えると父・母ともに合意が取れていたので、そうすることにしました。
父が診察室に呼ばれる
父が脳腫瘍を発症していること、また、非常に危険な状態であることを伝えるため、診察室の前で待っている父も入室してきました。
医師は、父に対しても、私に告げられたことをそのまま説明しました。そして、今後の治療のことについても説明してくれました。
具体的にどんな手術をするのかといった説明や、手術を実施する病院のことについても話をしてくれました。
実は、このあたりの話については、私はあまり覚えていないのです。これからのことを考えていると、とても平常心で聞ける状態ではなかったのです。やはり、「非常に危険な状態」であるという現実が、私の心に相当なダメージを与えたのだと思います。
実際、話を聞きながら気を失いかけたりもしました。貧血みたいな症状です。とにかく、話をじっくり聞くことは不可能な状態で、正気を保つことだけで精一杯だったのです。
自分のメンタルは弱すぎると、改めて痛感したものです。
入院・手術までの期間
治療の方針が決まると、病院側は、その日のうちに入院先を手配してくれました。
診察を受けたこの病院では、脳外科の診察はできても手術はできないため、別の病院に入院しなければならなかったのです。
ただし、急なことなので、すぐに入院・手術とはいかず、一旦帰宅して入院日まで待つことになりました。
ちなみに、入院はこの診察日から3日後、手術は12日後に決まりました。
これは、客観的に見て早いのかはわかりませんが、私としてはものすごく早く感じました。
ちなみに、肺がんのときは、腫瘍が発覚した診察から手術に至るまで、2ヶ月以上かかりました。もちろん、このときは、それほど急を要さない状態だったのかもしれません。
また、肺がんという転移しやすい腫瘍の特性上、MRI検査だけではなく、胃や大腸、気管支など、たくさんの検査を手術前に行いました。
一方、今回の脳腫瘍が発覚した診察の時点では、肺がん検診をすでに終わらせてばかりで、他の検査が必要なかったということも大きかったと思います。
いずれにせよ、迅速な対応を行ってくれた医師や病院の方々には、感謝でいっぱいです。
一方で、父の容体はそれほどまでに急がなければならない状態なのかと、事態の深刻さも痛感することになりました。
癌であるかもしれないということは予想できていても、父がもうすぐ死ぬかもしれないということは全く考えていなかったので、かなりの戸惑いがあったのは事実です。
しかし、突然の結果に面食らっていても、手術に向けた手続きは着々と進んでいきます。もう、受け入れていくしかないということです。
おわりに
今回の父の診察のように、がんが宣告される際には、必ず同行者が必要なのかはわかりません。
ただ言えることは、患者本人はもちろん、同行した人も相当なダメージを受けるということです。
もちろん、医師は、父だけでなく、私にもかなり気を使い、細心の注意を払いながら慎重に言葉を選んで、丁寧に説明してくれました。
しかし、やはり「かんの宣告」は辛いものがありました。
とくに、このときは、がんの宣告だけではなく、容体が非常に危険な状態にあることも判明したことが、大きかったと思います。いきなり手術が決まるなど、状況の移り変わりの早さが、私が受ける精神的ダメージにさらに拍車をかけたのだと思います。
今後、父だけではなく、母や兄妹、親しい人たちでさえも、いつ、癌といった命にかかわる病気になるかわかりません。もちろん、私自身についてもそうです。
しかし、今のような弱いメンタルでは、到底この先の未知の現実には耐えられそうにありません。もっと強くならなければいけないということですね。
次回は、診察を終えた後の父と私について書いていこうと思います。