ついに、7月5日に父の脳腫瘍の摘出手術が行われることになりました。
ブログの標題に示した手術名の通り、頭を開けて腫瘍を取り出す手術です。手術を受けるのは父ですが、家族である私であっても、考えるだけで怖くなる手術でした。
とにかく、この日のことは、今でもしっかりと覚えています。
喜びと絶望の両方を味わえた、本当に大変な1日だったからです。
いやあ、本当に辛かった。このブログを書くことでまた思い出しているのですが、それでさえも辛いくらいです。
発覚から手術まで
かるくこれまでの経緯を説明します。
脳腫瘍が明らかになった診察が6月23日。
入院が6月26日。
手術の説明が6月30日。
そして、ついに手術が7月5日に行われることになりました。
入院してからは、怒涛のように各検査が次々と行われ、あっという間に手術に至ったという感じです。
毎日いろいろなことがあるので、本当にめまぐるしい日々でした。
手術の内容
手術は、7月5日に予定通りに行われることになりました。
9時15分開始で、5.5時間の手術です
めちゃくちゃ長い手術です。素人の発想ですが、そんなに長い時間、脳みそをむき出しにしていて大丈夫なのだろうかと本当に気になりました。
手術は、全身麻酔で行い(挿管・人工呼吸)、頭を固定して、後頭部から後頚部にかけて切り込み、小脳内にある腫瘍を取り出します。
前回のブログでも触れましたが、もし腫瘍の性質が液体を多く含むものであった場合(水風船のような腫瘍といえばわかりやすいか)、摘出そのものが困難である可能性も手術前から示唆されていました。
ちなみに、手術をするまでは、どのような性質の腫瘍かはわからないのだそうです。
腫瘍の摘出ができない場合
腫瘍が液体を含むものであり、摘出が難しいと判断された場合には、無理に取り出すことはせず、液体成分のみを取り出す手術に切り替える予定でした。
脳圧亢進状態を抑えることが目的とする処置です。
具体的には、リザーハーチューブというものを頭に指して、液体を抜き取るという方法です。
要は、頭皮から腫瘍にかけてストローのようなものを指します。これをすることで、随時、腫瘍から液体を抜き取ることが可能となるのです。
ただし、この場合は、腫瘍が頭に残ってしまうので、癌と共存するという形になってしまいます。
さらに、この手術の後には、吐き気やめまいを起こすことがあるそうです。
脳内にチューブを残すのですから当然ですね。ただし、ずっと使っていると詰まってしまうことがあるらしく、その場合は使えなくなってしまうともいわれました。
このことからも、できれば、腫瘍を取りきってほしいと思っていました。脳内に何かが刺さりっぱなしというのもなんだか気持ち悪いですしね。
もちろん、どのような結果になってもいいから、ただ生き延びてくれればいいという思いが第一にありました。まずはそこですからね。
手術開始
手術当日は、私は仕事があったので、母親が付き添うことになりました。
母親はそれでなくても毎日お見舞いに行っていたし、この日は朝からずっと病院にいなければならなかったので本当に大変だったと思います。
私は仕事に行くとはいえ、小脳という脳幹にも近い腫瘍を取り除く手術であるため、最悪、父が命を落としてしまうことも覚悟していました。
そのため、仕事には行くものの、朝から「手術がうまくいっているのか」ということばかり考えてしまい、本当に落ち着くことができませんでした。
肺がんの摘出手術のときも本当に心配でした。しかし、この時の手術のほうが不安度ははるかに上だと感じました。肺がんも怖い病気ですし、手術にリスクもありました。
しかし、やはり脳という繊細な部位の手術ということが、とりわけ恐怖感を増長させたのではないでしょうか。
苦しい時の神頼みではありませんが、普段は手を合わせることか疎かになっているご先祖様にも、お祈りして仕事に行きました。
手術完了
具体的な時間は覚えてはいませんが、昼過ぎに母親から連絡が入りました。受話器を取るときは、それはもうドキドキです。
そして、なんとか無事に手術が成功したとの知らせを受けました。
また、リザーバーチューブのようなものを指す必要も無く、腫瘍はちゃんと摘出できたのです。
全てが、理想の形で終わりました。
「よかった〜!」
心底そう思いました。もう、生きている父には会えないかもしれないと思っていたので、この時の喜びは、本当に大きいものでした。
不安で全く手がつけられていなかった仕事も、この知らせを聞いてからは一気に生産性が上がりました。気分は上々です。
もちろん、この小脳の手術が終わっても、次は前頭葉の手術があります。
また、それが終わっても、脳に癌が転移した時点で全身に癌細胞が広がっている可能性が高いと言われていたため、先はまだ長いなあとこの時は思っていました。
それでも、まずは第一弾の手術がうまくいったのです。嬉しくないはずがありません。
喜びもつかの間
しかし、この喜びは一時的なものとなりました。再び、父は死の淵に立たされてしまうのです。
小脳の手術だけでも、なかなか終わらせてくれないようです。
術後の合併症のことを、すっかり忘れていました。
これまでも、一喜一憂は何度もありましたが、この時だけは落差が大き過ぎてさすがに堪えました。